好きなものが似てる人よりも隠し持ってる毒が共鳴する人との方が仲良くなれる。

どうも、こんにちは!
一昨日の自然歩きの疲れと筋肉痛で満身創痍の伊上透です。
筋肉がずっと熱を持っている感じです。
約30km歩いて更に山登りをしているわけですから疲れても当たり前です。
でもグレートトラバースの田中陽希さんはこれ以上の距離を毎日歩き標高の高い山にも登っているのだと思うと、こんなことで疲れている自分が情けなく思えてきます・・・。
アドベンチャーレースに参加出来るくらいの体力が欲しい。

さて、昨日こんなツイートをしてみたら、掘り下げてほしいと言われたのでそれについて書いていきたいと思います。


僕は友達を作りたいと思う時、決して趣味などが合う人を探そうとは思いません。
昔はそうしていましたがそれはあまり効果的でないと感じるようになりました。もちろん好きなものの話が合った時は楽しいですが、人として合うかどうかは全く別問題ですし、どちらかの熱が引いたらそれまでの関係だったりします。そんな関係なら趣味が同じ人とネット掲示板で匿名で語るくらいで十分かなと僕は思います。

好きなものが合う人よりも、嫌いなものが似ている人の方が仲良くなれると思います。
好きなものはどんどん変わっていくし増えてもいくけど、嫌いなものはそうそう変わりません。
他人の迷惑も考えずに大音量で音楽を鳴らしけたたましいエンジン音で車に乗るような人のことを僕は一生嫌いだと思います。そんな人と趣味が完全一致したところで好きになれるわけがない。
何が嫌いなのかというのは、世界をどのように見ているのか、とほぼ同義だと思います。そこに価値観が表れる。
その部分さえ共鳴していれば、単に街を歩いているだけでも楽しいと思います。性格や趣味が違ったとしてもその違いを楽しめると思います。
あとはお互いの好きなものの話を聞いていけばいいのです。人が好きなことの話をしているのを聞くのって楽しいじゃないですか。聞いてるこちらまで笑顔になれるじゃないですか。そうして好きなものの話をお互いにすることで感化され好きなものが増えていくと思います。それは素敵なことじゃないですか。
それに嫌いなものが似ているということは、自分をある程度曝け出しても許容される可能性が高いです。自分の中に隠し持ってる毒を吐いても共感される可能性が高いです。普段嫌われることが怖くて身に付けている鎧を脱いだっていいのです。そんな人となら自分が自分らしくいられるんじゃないかなと思います。

だから僕は好きなものが似てる人よりも、嫌いなものが似ている人の方が仲良くなれると思うし、そんな人を探していければいいなと思います。
でもなかなかそんな人を見つけることって難しいですよね。
僕はそんな人を探すツールとしてTwitterを使っている部分があります。
SNSはどうしても堪えきれない思いを吐き出す場所でもありますから。
現実世界の場合ではあえて自分からユーモアを交えてギャグっぽく毒を吐くことで周りの反応を見ています。共感されることもあるし引かれることもあるし・・・引かれることの方が多いかな。


でもまあ何だかんだ書いてきましたが最終的には相性だと思います
別に合えばなんだっていいんです。話して楽しいのなら別にそれでいいんです。
誰と相性が合うかなんて本当にわからないから、とにかく話してみるしかないです。
どんな人となら相性が合うのかなと人を探すときの基準の一つとしてこの記事のようなことを考えてもいいのかなと思います。