半生日記(2005~2019年)

 


■2005年(19歳)

4月、鳥取に帰ってきました。
専門学校を辞めたことで、学生の身分も終わり。
とりあえず近くの回転寿司屋でフリーターをすることに。開店から閉店までがっつりと働いてた。
自動車学校にも通って免許も取った。


音楽活動は昨年の夏祭りでやったT君とMちゃんとのバンドでやることに。
その時は二人は付き合っていたけど、その頃には別れていて、Mちゃんには別の彼氏がいました。
でも二人はどう見てもイチャイチャしているし、とても別れたようには見えなかった。
でも3人で遊ぶ時間は凄く楽しかった。
ずっと笑っていた。


でも音楽活動の様子がおかしい。
僕とMちゃんはガンガンやろうぜ!って感じだけど、T君のやる気が明らかにない。
練習や曲作りやライブを面倒くさがったり、真面目にやらなかったり。
僕とMちゃん対T君という構図がどんどん強くなっていきました
実力があるのはわかってるのに、どうしてやらないんだと腹立たしかった。

そうこうしてる内に僕とMちゃんはどんどん親しくなっていきました。
MちゃんはT君と以前付き合っていた、そして今は別の彼氏がいる、そして自分も長く鳥取に留まる気はない。
全部わかってるんだけど惹かれていく気持ちを抑えることが出来ませんでした。
2019年現在でも、僕が唯一本気で好きになれた人です。

 

T君は「俺は別にいちさんみたいに本気でやってプロになろうとか思わない」と言うようになりました。
凄くショックだった。
高校生の頃あんなに夢を語り合ったのに、バンドの為に東京で色々頑張って、連れ出すためにこうやって鳥取に帰ってきたのに。
それでも8月末の大きなライブのオーディションに通ればT君も考えを変えるかもしれないと、それに向かって頑張っていました。


が、しかし。
T君は胃の異常で入院することに。
8月のオーディションも出られなくなったし、もう音楽をやりたくないとT君は言っていました。
僕が高校生からずっと懸けていたD-Factoryがなくなった瞬間です。


それからある日の夜。
Mちゃんにぼやいてしまいました。
「俺はずっと一人な気がする。みんな大事にしてると思ってたD-FactoryだったけどN君はあっさりやめたし、T君もやる気ないし、それなら俺はなんで東京から戻ってきたかわからんし、一人だけ熱意が空回りして馬鹿みたい。俺はずっと何やってたんだろう。このバンドが全てだったのに」


そうしたらMちゃんは号泣して「いちは一人じゃないよ。私がいる。私が一人じゃないって証明してみせる」


Mちゃんとの仲は更に深まっていきました。
僕は凄くウブだったので手を繋ぐということがやっとでしたが、夏の夜の砂浜で、波の音を聞きながら肩を寄せて星空を見上げたあの日々はきっと僕の一生の宝物になります。

ある日僕の部屋でMちゃんとダラダラしてた時「もう我慢できない」とMちゃんが僕の手を取り自分の胸に持っていき「胸はこうやって揉むんだよ?」と動かし始めました。
更に服を脱ぎ、体を交えようとしてきましたが、僕はそれを拒否しました。Mちゃんのことが凄く好きだったけど
Mちゃんには彼氏がいる、僕は東京に戻る身。そんな気軽にセックスしていいわけがないと思ったのです。

それから僕とMちゃんはすれ違い始めました。


僕は東京に戻ることに決めました。
もうD-Factoryはないけど、一人でもプロになってやる。

 

そして11月、僕は再び上京しました。

 

 

■2006~2011年(20~24歳)

再び上京したはいいものの、音楽に懸ける熱量が明らかに低くなっていました。
僕は音楽をやりたいというより、あのバンドがやりたかったんだなと強く思いました。
音楽の道を行こうとは決めたけど新しくバンドを組む気にもなれず、一人で曲を作ってそれをオーディションに出しては落ち、出しては落ちという日々を過ごしていました。
この頃は「とりあえず音楽をやっていますよ」という体裁だけを整えているようなもので、真剣に音楽をやっていたとは全く言えない。
何も経験せず、ただ時間だけが流れていきました。


■2011年(25歳)

2011年3月11日。
東日本大震災
そろそろジョギングに行こうかなと思っていた時にそれは来ました。
東京の揺れはそこまでではなかったけど、東北の恐ろしい光景をテレビで見て目を疑いました。
東京でも大きな地震が来る可能性がある、携帯から何度も鳴る緊急地震速報のアラート音、そして福島の原発の爆発。
これはひょっとして東京に大きな地震が起こったら大パニックになる?ひょっとしたら死ぬかもしれない?
生まれて初めて死を意識しました。
死ぬわけにはいかないと、3月12日福島の原発が爆発した映像を見た瞬間に品川に向かい新幹線に乗り、実家に避難しました。
死ぬ前に絶対にやらないといけないことがある。


実はMちゃんとはあれからもmixiで繋がっていて定期的に連絡を取り合って、長電話をすることもあったし、1年に1度は会っていました。
2006年に当時の彼氏と結婚して、子供も産まれていたから、不倫をするわけにはいかず、本当に喋るだけだったけど。
でも僕はあれからずっとMちゃんのことが好きなままで、その気持ちをひたすら押し殺してこの5年を生きていました。
まだ死ぬわけにはいかない、全部この気持ちをMちゃんに伝えるまで死ぬわけにはいかない。

東京から鳥取に帰り、その足でMちゃんの勤める図書館に行きました。僕が姿を見せたら、Mちゃんは他の利用者の目も気にせず「無事でよかった」と僕に抱きついてきました。まだ東京はそんなに危なくないよ大袈裟だな、と思いつつも凄く嬉しかった。
図書館の中の事務室に入れてもらい(そこはMちゃんが一人で切り盛りしてるから案外自由)お茶を飲みながら、色々語り合いました。
そして自分がMちゃんのことを忘れられないこと、このままズルズル関係を続けているのが辛い事、夫も子供も捨てて自分のところに来てほしいこと、全てを伝えました。
そして返事はもう会わないようにしようということでした。
わかってた。僕はこの気持ちにキリを付けるためにわざわざ帰ってきたのだと思った。

そのまま鳥取にいることも考えたけど、僕はすぐ東京に戻りました。
確かに危ないし、死ぬかもしれないけど、何も起こらない鳥取での日々より東京で何かをやりたいと思った。
それまでダラダラと音楽をやってたけど、真剣にやろうと決めて必死で曲を作ってオーディションに送ることを始めました。
そんなある日、たまたま路上で専門学校時代の友人と再会しました。
一番仲良くしていていたH君です。
H君が音楽事務所を紹介してくれて、僕はそこに所属することになりました。
真剣に動き出したらこんな奇跡が起こったりもするのかとビックリしました。


しかし事務所での日々で現実を突き付けられました。
それまで楽しいだけでのほほんと音楽をしていたんだなと。
ビジネスとして、仕事としての音楽という視点をどうしても持つことが出来ず、また本当の覚悟で音楽をやることも出来ず、心がすり減り、2012年末で事務所をやめることになりました。


■2013~2019年

事務所を辞めて、音楽というものが自分からなくなりました。
もうやりたくもなかった。
音楽をやめてしまえば自分には人との繋がりが全くなくなりました。
もうやりたいことが何にもない、もう生きる理由もわかんない。
それまで貯めていたお金があったので一人暮らしなのにニートを始めました。
ただただ無気力にお金が減っていくのを眺める日々。


とうとうお金が尽きて一人暮らしが出来なくなったので部屋を引き払い、鳥取の実家に戻ることに。
実家で本当のニートになる。
実家は自然に囲まれていて最高の癒しの空間で心が回復していきました。
回復しても生きる理由は何も見つからない、もう大切なものが何もない、そんな状態でどうやって生きていけばいいのか。
そんなことを毎日毎日考えていました。
自分の考えを吐き出すためにTwitterを始めました。

そうこうしていたら「35歳になったら死ねばいい。それまでやりたいことをやる」という考えが浮かびました。
それで活力を取り戻し、こんなど田舎にいても仕方がないと、たった4万円だけを手に、ほとんど家出の状態で東京に戻り、友達の家に転がり込み、居候をしながら、日雇いのバイトで食いつなぎ、お金を貯め、自分の部屋を借り、新たな生活を始めました。
今までの自分には音楽しかなかったけど、それがない自分には何があるのだろうか。それを探すというところから新しく始めていきました。

そんな中ある日、偶然一人旅にはまりました。
それが凄く楽しかった。
新しい自分の軸が見つかったと思った。


一人旅を続けながら、何か面白いことがないかと、楽しいことを探す日々は今も続いています

半生日記(専門学校時代)

■専門学校

高校生の時に組んでいた「D-Factory」というバンドでプロになりたかった。
D-Factoryの中心はリーダーの僕と打ち込み担当のT君、そしてボーカルのN君。
「高校を卒業したらみんなで東京に出て音楽をやっていこう!!!」
僕は強く訴えていた。
僕とT君は音楽の専門学校に、N君は東大にそれぞれ進学することで上京をする予定だった。
でも直前でT君は家族の反対で地元の短大へ、N君は東大に落ちて一年の浪人生活をすることに。
結果、僕は一人で上京をすることになりました。
二人の分まで色んな経験を積んで、それをD-Factoryに還元するつもりだった。
「今後の俺にメッチャ期待してて!その期待の上を行くから!!」
二人にそう宣言して僕は旅立ちました。
また3人でバンドをやるんだって全く疑ってなかったし、このバンドの為なら何でもやるつもりだった。
このバンドに全てを懸けていた。


そして上京!!!


初めての東京、初めての一人暮らし。
何もかもが新鮮で全てが楽しかった。
春の暖かさもあって、後にも先にもこんなにワクワクしたことはない。全てが眩しく感じられた。

僕は音楽の専門学校の作曲科に入学した。
高校生の時にパーフェクトぼっちになった反省から積極的にみんなに話しかけた。
多分同じ科の全員に話しかけたんじゃないかな。
意識高くやってきている人から遊び半分の人までいた。
僕は自然と意識高い人のグループに属するようになった。
そこでのみんなとのセッションやギター科などのプレイヤー科で同い年だとは思えないほどレベルの高い人を見ることが出来た。
僕もギターには自信あったけど、もうレベルが違い過ぎて。
音楽について語り合う時間はとにかく刺激的だった。


学校外でも池袋のギターレッスンに通うようになった。
現役バリバリのプロからの直接の指導でメキメキ上達した。
上達するのが楽しくて単調な基礎練を5時間毎日やるのも苦にならなかった。
自分の作った曲に対するアドバイスももらってたし、音楽的な成長は奨学金使って入った専門学校より月2万のレッスンの方が明らかによかった。


夏休みに一度2週間帰郷して、地元の夏祭りのライブに出ることになった。
D-Factoryで出たかったけどN君が勉強に集中しなくちゃということで、T君(シンセ)とその彼女のMちゃん(ボーカル)と僕(ギター)の3人編成で出ることになった。
Mちゃんとは初めましてだったけど、初対面から気が合って楽しい2週間になりそうだと思った。
2週間毎日練習して、突貫工事で仕上げて夏祭りライブも無事に成功した。
T君から「いちさん、メチャクチャ上手くなっとるがん!!!!」と褒められたのは凄く嬉しかったな。
夏祭りの翌日に東京に戻ることになってたから、祭りの最後の花火を見ながらこの2週間のことを思い返していました。
やっぱりT君の技術は凄い。専門学校でもこのレベルの人間はいなかった。一緒に音楽やってても阿吽の呼吸でしっくりくる。これだ!という感覚があった。
花火が終わる頃、「これでいち君東京に帰っちゃうんだ。寂しくなるね」と言ってMちゃんが泣き出した。
僕のことで人が泣くなんて初めてで凄く嬉しかった。


東京に戻ってから更に練習に励み、色んなセッションに顔を出し、バンドを組み、助っ人でギターを弾きという日々を過ごしていました。
でも物足りなくなってしまいました。夢に向かって進んでる他のバンドを見てたからかもしれない。
自分も前に進みたいのにこのままじゃ何も出来ない。

やっぱりT君とM君を東京に引っ張り出して来て東京でD-Factoryをやらなくては。
それから二人に電話を度々かけて説得の日々です。
N君は京大に受験することに決めたらしく、もう東京に来る気はないらしい。
T君は曖昧な態度。
このバンドの中心は僕とT君。だから彼と一緒に音楽が出来れば他のメンバーチェンジがあってもD-Factoryであると思ったから彼を何としてでも説得して東京に連れ出すことにしました。
そこで僕が考えたのが学校を辞めて一度鳥取に帰って、彼と音楽をやりながら、直に説得し続けて東京に連れ出すというものでした。

学校を辞める時、同じ科のみんなが止めてくれたの嬉しかったな。
「お前の努力はみんな知ってる。ここで帰るのは勿体ないって!」
でも僕はすぐに戻ってくるつもりだったし、みんなとは少しだけのさよならという気持ちでした。

逃げるんじゃなくて、進むために帰るんだと。

 

半生日記(高校生まで)

■誕生 

1986年3月25日兵庫県明石市で生まれる。

4歳までは明石市のマンションで暮らすが、その後父の実家である鳥取県中部に引っ越し。

海まで徒歩15分、山は真後ろ、畑と田んぼに囲まれたなんにもないド田舎のおうち。

 

 

■小学生

小学2年生でサッカーを始めてからひたすらサッカー漬け。

キャプテン翼の真似をしてボールを蹴りながら登校をしたりした、ド田舎とはいえ危ない・・・!

 

■中学生

サッカーに飽き、辞める。

そんな時、突然「あ、作曲したい!!」と思う。

それまで音楽も聴いたことなかったから、とりあえずCDショップに行って適当にB'zのベストアルバムを買う。当時めちゃくちゃ流行ってた。

父のギターを借りて練習を始める。

それから学校から帰るとずっとギター弾いてました。1日5,6時間は練習してたと思う。

ド田舎で周りに家がないから結構音を出しても許される環境だったのがよかった。

 

中3の時にテレビでJリーグの試合を見て、サッカー観戦にはまる。

Jリーグ、W杯、大学選手権、小学生の全国大会・・・テレビ放送があれば全部録画し自分なりに分析して観戦日記をつける。

 

■高校生

・1年

友達作りに失敗する。いつも教室で一人でポツン。眠くもないのに寝たふりをした休憩時間をやり過ごす。お弁当を食べる場所がなくていわゆる便所飯も数回経験する。

登校してから下校するまで声を発しない事なんてザラです。

個人ホームページを作って日記を書き始める。

暗黒の1年間。

 

・2年

暗黒のパーフェクトぼっち生活を送っている4月のある日音楽の授業でギターを弾く機会があった。

ポルノグラフィティの「アゲハ蝶」をこれでもかと全力で弾いて「ギター上手いんだね!!」などと言われて喜ぶ、うへへ。

それから1か月後、いつも通りぼっち飯を決めていたらT君が近付いてきて「バンド作ろうと思ってるんだけどギター弾いてくれない?」と勧誘される。

バンドは凄くやってみたかったし、何よりこの暗黒の日々から脱出出来るチャンスだと思って、めっちゃ食いつく。

話を聞くとメンバーはもう揃っていてT君ともう一人以外は他校の友達らしい。

その後すぐに顔合わせ。メンバーに女子もいたので嬉しくなる。まさか自分の高校生活で女子と触れ合うことがあるなんて…!

みんな意気投合して顔合わせは良い感じで終わる。

これは今まで必要なかったけど携帯電話が必要だ!と親にねだって買ってもらう。

 

・・・が!

 

その後全然話が進まない。

T君に「バンドどうなったの?」と聞いてもはっきりとした返事がない。

このままでは話が流れてしまう、また暗黒の日々に戻ってしまうと焦り、自分でイベント情報などをかき集めてくる。

11月のこのアトリウムライブってのが出演者募集してるよ、出ようよ!と提案して回る。みんなの音楽の好みがバラバラだったかた共通項を探して演奏する曲を考える、楽譜を買ってきてコピーしてみんなに配って回る。練習の日程の調整をする。などなど動き回っていたら「このバンドのリーダーはもう君だよ」と任せられる。

その甲斐あってバンドは動き始めて大体月1でライブをするようになる。

高校の吹奏楽部に誘われて入部する。担当楽器はまさかのギター。吹奏楽にギターとかあるの!?と驚く。何故か3年生になったらみんな引退する部活だったので3か月ほどしかいなかったけど楽しく演奏した。

 

ギターが弾けるという一点だけで自分の高校生活は大きく変わった。

だけどバンド活動以外の時間は相変わらず一人だし、音楽がなければまた暗黒の日々に戻ってしまうと怖かった。その恐怖感で動いていた。

 

・3年

相変わらず学校ではぼっち飯を決めていたし、声を発さない日がザラにあったけど

バンド活動を続けながらライブなどで知り合った人と別のグループを組んだりもして音楽活動が忙しくなる。

高3の学園祭にもどうしても出たかった。だけど学校では普段ぼっちだしバンドなんて組めない…でもどうしても出たかったから人気者の生徒会長に「バンドやって学園祭出ない?」と話しかけたらまさかのオッケー。

それからT君や吹奏楽部の人にも声をかけて即席バンド結成。

最終的には、学園祭のラストで全校生徒の前で演奏して「西高祭お疲れ様でしたー!!!!」とマイクで叫んでクラッカーを割るという、普段ぼっち飯を決めているとは思えないことをすることが出来た。

 

また自分で場所を借りてライブ企画を始める。

企画、開催だけして自分は出演しないこともあった。

3月に高校生活の集大成として大きなライブを企画して300人を動員して大成功した。

 

高校生活での音楽活動は言うことがない。もう最高だった。

 

音楽とは別に。

 

高3に進級したばかりの、まだ春休みの頃。

Yahoo掲示板で「鳥取県中部でフットサルやろうよ!」というトピックを見つける。

新規にフットサルサークルを作るらしくて自分も参加することにした。

メンバーの平均年齢は当時28歳くらい。

17歳の自分は断トツの最年少。

大人の人に交じってボールを蹴っていた時間は自分にとって本当に貴重だった。大人も笑うし、ふざけたりするんだと知れた。

毎週金曜日の夜は湯梨浜町の体育館でフットサルをする高校3年生の1年間でした。

僕が上京する時はみんなで記念写真を撮ったり寄せ書きを書いてくれたり海に連れて行ってくれたりした。

数年後、あのサークルのメンバー同士で結婚する人たちも現れたりして凄く仲の良いサークルでした。自分は未成年だったしそこまで深くは関われなかったけど本当に良い経験になった。

 

 

 

 

 

■専門学校

 

 

 

■2005年(19歳)

 

 

■専門学校生

 

 

2019年2月 奥日光、鬼怒川旅

2019年最初の一人旅。

昨年12月の伊根町以来2か月ぶりの一人旅です。

今回の目的地は栃木県、奥日光!

 

■2月20日

 

始発電車に揺られながら向かう。

霧の影響で電車は遅れて運行しているらしい。

 

午前7時頃、トイレに行きたくて南栗橋の駅で降りる。

そのホームから眺める外の世界は完全に霧に包まれて綺麗だった。

 

f:id:nowaytool:20190222044705j:plain

 

 

電車は20分程遅れて8時30頃に東武日光駅に到着。この頃には霧は完全に晴れていた。

この地点での標高が543m

普段登ってる天覚山より100m程高い。

ここからバスで湯滝入り口まで向かう。

 

バスはグングン山道を進んでガンガン標高を上げていく。

山道でのU字カーブの連続には肝を冷やす。

落ちたら確実にお陀仏というカーブをギリギリで曲がっていく。

窓側に座ってたから本当に死ぬかと思った。

他の乗客の方も同じように思っていたのか、唾を飲む音が聞こえるくらい静かな車内だった。

 

そして無事に湯滝入り口到着!!

ここに来るまでに全員が降りていてもう乗客は僕一人だけ。

標高約1400mということもあって雪が積もっていた。

今年は雪を見ることが出来ないと思っていたけど見れて嬉しかった。

というか、積もり過ぎ。アイゼンが必要なレベル。

凍ってしまった下り道を歩いてこけること2回。やろうと思えばそのまま下まで滑って行けたと思う。

 

バス停から5分ほどで湯滝に到着。

奥日光3名瀑の一つだ。

とにかく水量が凄い。迫力満点。

しかも近くで見ることが出来る。

滝壺まで近づこうとしたけど深い雪に覆われていて、一歩足を出したら膝近くまでズボボボボと沈んだのでこれは危ないと断念する。

でも夏なら真下から滝を見ることが出来ると思う。

 

周りにはアイゼンを装備し一眼レフを構えた、いわゆるガチ勢の人が7人ほどいた。

その中をスニーカーで闊歩しスマホで雑に写真を撮っていく僕を彼らはどう見ていたののか・・・。

 

f:id:nowaytool:20190222052703j:plain

f:id:nowaytool:20190222052702j:plain

 

 

もっと長く見ていたかったけど、ここから奥日光三名瀑の残り二つ、竜頭の滝と華厳の滝を見に行かなくてはいけない。

ここから竜頭の滝まで徒歩50分、華厳の滝までは2時間歩くことになる。

僕の一人旅はとりあえずの目的地を定めたお散歩だ。

歩きながら予定してない何かを見つけられたらいいな。

 

そうして歩き出した。

というか走り出した。

とにかく眺めが最高過ぎて走っていて気持ちよかった、何らかの奇声を放っていたかもしれない。

途中で可愛い雪だるまくんとの出会いもあった。

f:id:nowaytool:20190222054056j:plain

f:id:nowaytool:20190222072126j:plain

 

 

そして戦場ヶ原というところに辿り着いた。

どうやらこの一帯はラムサール条約に登録された湿原らしい。

日本じゃないみたいな美しさ。

この景観を眺めながら道を進んでいく。

日本ロマンティック街道と名付けられているのは伊達じゃない。

 

f:id:nowaytool:20190222054044j:plain

f:id:nowaytool:20190222055018j:plain

f:id:nowaytool:20190222054122j:plain



 

そして竜頭の滝に到着。

正直これはそんなにだった。

まあこんなもんかと早々に立ち去る。

 

 

歩いていたら中禅寺湖が見えてきた。

湖なのに何故か潮の香りがする。

風も強く、波が立っていたので、まるで海かと錯覚するほど。

向こう側には奥日光の山々が連なっている。

この景観を眺めながら湖の畔を歩いて華厳の滝まで向かうことにした。

f:id:nowaytool:20190222055036j:plain

f:id:nowaytool:20190222055055j:plain

 

 

そして華厳の滝に到着。

観瀑台も用意されているけど一番いい場所から眺めるには有料エレベーター(550円)に乗らなくてはいけないらしい。

華厳の滝奥日光三名瀑に留まらず、日本三名瀑の一つとしても知られています・・・が正直滝が遠すぎて僕にはピンとこなかった。

やっぱり間近で見て迫力は水量を体感できるような滝の方が僕は好き。

 

 

その後、栃木県立日光自然博物館に行く。入館料は510円。

ちょうどシアターで「悠久の四季ー日光ー」が上映されるところだった。

他に客はおらず、シアターを完全に独り占め。

ベストな席を探すために何度も何度も移動した、一人じゃないとこんなことで出来ない。

奥日光の成り立ちと四季の映像が約20分間流れた。

物凄く綺麗で感動した。こんなの独り占めなんてこんな贅沢ないよ。

でも感動しすぎたのかな。

席に財布を置いたままにしてたみたいで、博物館を出るときに館員の方に渡してもらった。

危ない・・・!!

館員さんありがとうございます・・・。

 

f:id:nowaytool:20190222061333j:plain

f:id:nowaytool:20190222061313j:plain

.

 

 

それからお昼を近くのラーメン屋さんで済ませ、バスに乗って東武日光駅まで戻る。

またしても恐怖のU字カーブの連続に肝を冷やす。

悪天候でもこのバスは運行するんだろうか・・・。

雨や雪や風が強い日だと本当に曲がりきれなくて崖下に落ちてしまうのではないかというくらい恐ろしいU字カーブの連続。

 

どうにかこうにか無事に東武日光駅まで戻る。

そこから鬼怒川温泉を目指す。

2016年12月の鬼怒川旅で不完全燃焼だったので、そのリベンジを果たすのだ。

駅に降りた時に懐かしさを感じた。

一人旅で同じ場所で2度行くことのは初めてかも。

でも懐かしさを感じていると雨がポツリと降ってきた。

天気予報では一日中快晴のはずだが・・・。

本当はもう少しフラフラするつもりだったが早めに宿に向かうことにする。

 

途中でスーパーに寄って飲み物といつものじゃがりこを買う。

このスーパーは以前の鬼怒川旅で見つけていたのだけど、あの時は体力的に消耗して満身創痍で、寄っている余裕がなかったので今回ついに入れた。

こういう地元の人間御用達といったスーパーが好きだ。地元の香りが感じられる。

 

そして宿に到着。

今回お世話になるのは東急ホテルハーヴェストクラブ鬼怒川さん。

ハーヴェストは2017年3月に伊東で使って以来二度目。

相変わらずホテルのチャンネルで軽井沢のVIALAの宣伝をしていた。

お部屋お任せプランで予約をしたが、広いツインで川側のお部屋を用意してくれてとても嬉しい。

 

f:id:nowaytool:20190222064834j:plain

f:id:nowaytool:20190222064844j:plain

f:id:nowaytool:20190222064851j:plain

 

疲れているので早速温泉に入ることにした。

雨が本降りになっていたけど構わず露天風呂に入る。

冬の冷たい空気と温泉の暖かさのハーモニーが体を癒してくれる。

だが、頭上からの冷たい水はさすがに不協和音だ。

 

温泉から出て部屋に戻ると眠気に襲われて眠ることにした。

どちらのベッドを使うか悩んだが、テーブルに飲み物を置いていたんで奥のベッドを選んだ。

おやすみなさい。

 

■2月21日

 

午前1時に起床

おはようございます。

夜勤をやってるから体内時計がおかしくなっていて、宿に泊まってもいつもこのくらいの時間に目覚めてしまう。

 

お茶を入れて、読書や本日の予定を考えたりする。

宿でのこの時間は本当に至福のひととき。

この時間のために一人旅をしているといったら過言ではあるけど、嘘でもない。

f:id:nowaytool:20190222064910j:plain

 

午前6時。

大浴場の利用時間になったので朝風呂に行く。

昨日は雨が降っていたけど今日は完全に止んでいる。

澄んで冷えた朝の空気と温泉のハーモニーがたまらない。

白い月が少しづつ山の奥に沈んで行くのを眺めながらゆっくりと浸かる。

沈みきるまで見ていたかったけどのぼせてしまったので出る。

 

それから荷物をまとめ、部屋を片付け、ブログSNS用に写真を撮る。

いつでも出れる状態にしてから朝食バイキングへと向かう。

伊東のハーヴェストを利用した時の朝食バイキングでは沢山の料理が並んでいたが、ここではまさに朝食といったものしかなかった。

あの時は春休みで家族連れの宿泊客も多かったから特別に種類が多かったのだろうか。

しかし端の席で鬼怒川を見下ろし、山を眺めながらの朝食は最高と言っても足りないくらいだった。

朝からガツガツと大慌てで食べ、誰よりも早くバイキング会場を後にする。

部屋に戻り、歯磨きをしたら、そのままチェックアウト。

ホテルの方に「朝食バイキングは召し上がりましたか」と聞かれてしまった。ええ、食べました。

f:id:nowaytool:20190222064925j:plain

 

 

ハーヴェストは安定して質が高いなと思う。

色んなホテルチェーンを利用してきたけど、今のところ一番の好印象。

 

さあ!

一人旅二日目だ!

 

まずはホテルから徒歩20分ほどで着く鬼怒楯岩大吊り橋へ。

高さはあるけど橋はしっかりとしててあまり揺れないからそんなに怖くない。

裏の山に登れるかなと思って進んでいったけど、途中まで登ったところで立ち入り禁止になっていた。階段あるから登れそうなんだけどなー。

残念。

f:id:nowaytool:20190222072250j:plain

 

 

それから鬼怒川温泉駅から龍王峡駅まで向かう。

2年前、全てが上手く行かなくて失敗に終わりそうだった鬼怒川旅を救ってくれた龍王峡。

前回龍王峡の手前部分しか味わえなかったので今回は更に奥まで向かう。

 

あの時行かなかった龍王峡の奥には夢のような世界が広がっていた。

以前は天気が曇りだったから気付かなかったけど、水の色がこんなに緑色だなんて。

 

f:id:nowaytool:20190222075138j:plain

 

危ないけど岩を降りて川に近付いてみた。

そこはもう桃源郷のようだった。

「嘘でしょ、嘘でしょ」と何度も一人で呟いてしまった。

ここにしばらく留まる。何分くらいいたんだろう?

ずっと川を眺めていた。

f:id:nowaytool:20190222044821j:plain

 

 

岩をよじ登り、また元の道に帰り龍王峡を進んでいく。

どこまでもどこまでも続く渓谷。

そして絶景。

 

f:id:nowaytool:20190222074809j:plain

 

 

 

f:id:nowaytool:20190222074828j:plain

f:id:nowaytool:20190222044836j:plain



本当にどこまでも進んでいけそうで、2時間ほど進んで、標識があったので見るとまだ6㎞程歩けるらしい・・・。

でも戻らなくてはいけないし、なんだかもう満たされてしまったなということで引き返す。

行きとは角度を変えた美しさの龍王峡を戻っていく。

 

龍王峡駅に戻り、帰りの電車を調べる。

すると次は3時間後の電車になるらしい。

・・・3時間後?

いやいやいや、いやいや!!いや!嫌!

さすがにそれは待ち時間がしんどすぎる。

龍王峡から1時間歩いて鬼怒川温泉まで戻れば普通に電車があるのでそれで帰ることにする。

そういえば2年前もこうやって歩いたっけ・・・。

 

その道中で、またしても美しい山の姿を見ることが出来た。

これが見られるんだったら歩いてよかったな。

f:id:nowaytool:20190222080209j:plain

f:id:nowaytool:20190222074440j:plain

 

そして鬼怒川温泉まで戻り、特急に乗り込み、わずか2時間ほどで東京に舞い戻る。

 

今回の旅は過去最高レベルによかった。

絶景の数なら間違いなく過去最高。

今まで海の方ばかりに行ってたけど、山も美しいんだなと知れた旅でした。

ありがとう奥日光鬼怒川!!

 

超超オンボロアパートの話

高校を卒業して音楽の専門学校に進学するために上京しましたが、その専門学校を1年間で辞めて、半年間地元の鳥取に帰ってました。(その半年間は僕の人生で最も濃いといっていい時間なのでいつか文章にしたい)

そして再び上京するわけですが、お金もないしとにかく家賃の安いアパートを探していました。

 

そして見つけた、東京都練馬区桜台オンボロ荘。

池袋から電車で8分の桜台駅まで徒歩8分の好立地。

閑静な住宅街に佇む築40年の歴史ある木造アパート。

トイレありお風呂なし2Kで家賃はなんと・・・

 

23000円!!!

 

23000円!!!!!!!!

 

 

23区内、しかも池袋近くの好立地でこの家賃はちょっと破格じゃないですか。

敷金礼金なし、更にフリーレント(最初の一か月家賃免除)だったので、格安の初期費用8万円ちょいで借りることが出来ました。

 

お引越しは12月。

夢と希望を胸に抱き二度目の上京だ!

 

まずは不動産屋さんで鍵を受け取り、説明を受ける。

電気ガス水道は大家さんの方で既に契約済みで、家賃と込みで請求されるらしい。

それは振込じゃなくて、オンボロ荘の隣に住む大家さん宅まで出向いて直接お支払システム。

ふむふむ。

 

早速入居だ!!

建物はどうみてもオンボロです。お部屋は2階だけど廊下を走ったり飛んだりしたら底が抜けるんじゃないか。

部屋は中身は全体的に少し汚いけれど破格の家賃と築40年ということを考えたらそれくらいは全然いいでしょう。

トイレの水の流し方が上から垂れてる紐を引っ張れば流れるというものでした。こんなの初めて見た!

お部屋のドアも変わっていて、鍵穴に鍵を入れて開けるというのは普通なんだけど、閉めるのは鍵でなく、ドアノブの真ん中についた丸いでっぱりを押しながらドアノブを捻ると閉まるというものでした。

うっかり部屋に鍵を置いたままに閉めると締め出されるという罠仕様。

古き良き物件ということなんですかね。

 

そして一抹の不安が。

キッチンの引き出しを開けてみると謎の黒い粒がポツポツと。

なんだこれ・・・?

別の引き出しを開けてみると、前に住んでいたと思われる中国人宛の借金の返済催促ハガキが大量に入っていました。

何故そのままにしてあるの・・・?

 

まあまあ!

何か害があるわけでなし別にいいかー!!

 

 

 

入居から1か月。

初めての家賃支払いが近付いてきました。

ある日帰宅すると部屋のドアに紙が貼ってありました。

 

イノウエ様

家賃23000+水光熱費5000円

合計28000円

 

こう書いてありました。

なるほどねー。

 

そして大家さんのおうちへお支払に行く。

ピンポーン、ピンポーン。

・・・出ない。

いないのか、また出直さなくては。

 

翌日の朝にもう一度行くと今度は出てくれました。

大家さんは80歳くらいの小さなお婆ちゃんでした。

まずはおうちに上がらせてもらって、お茶を頂く。

そうするとお婆ちゃんが僕に家賃手帳なるものを渡してきました。

支払うとこの家賃手帳にスタンプを押してくれるというシステム。

なんだこれ面白い。

そんなこんなで初の家賃支払いを終えました。

 

それかは何事もなく暮らしていました。

近くのスナックのカラオケがあまりにうるさいことを除いては特に問題はなかったです。

むしろお金が全然なかったので白飯にマヨネーズや刺身醤油をかけて食べるといった自らの困窮具合がやばかった。

 

問題が出てきたのは暖かくなった4月からです。

 

ある日帰宅すると、買っておいたお菓子やレトルトカレーの袋が破れている。

そして部屋中に黒い粒々が。

それらの犯人はすぐにわかりました。

ネズミです。

だって柱の陰にいるんだもん!!

 

それからは毎日ネズミが出没するようになりました。

何度掃除しても毎日現れる黒い粒々、これはネズミの糞です。入居初日に見た引き出しの黒い粒々も糞だったのか。

眠ろうとしても近くを動いているネズミの足音が気になって眠れない。

電気をつけてふと柱を見ると3匹のネズミがささーっと柱を駆け上っているところでした。

それを見て鳥肌が止まらなくなりました。

ネズミ捕りを仕掛けると2匹引っかかっていました。

切なげに苦しげに「きゅーきゅー」と鳴いています。

その声でまた鳥肌が立ちます。

 

何度ネズミ捕りを仕掛けても全く勢いの衰えないネズミ軍団。

もうお部屋に食べ物は置いていないのに何故現れる。

ネズミがいるから部屋に帰りたくないし、ネズミが怖いから全然眠れないしで、ノイローゼになってしまいました。

 

大家さんに相談するも「ネズミくらい出るさー」と取り合ってもらえない。

え・・・ネズミを気にする方が間違っているの・・・?

それくらいの強い精神力が求められる猛者たちの棲家だったのか・・・。

 

8月終わり頃にとうとう限界が来たのか、退去もしていないのに新しくアパートを借りてました。

家賃7万4000円、家具家電ロフト付き、風呂トイレ別、水光熱費とネット料金も家賃に含まれるから使い放題・・・。

正直契約した時のことを全く覚えていないし、このあとオンボロ荘をどうやって退去したのかもよく覚えていないのです。

完全にノイローゼでメンタルやられていた。

ただ引っ越した後の爽快感はよく覚えています。

 

ネズミに怯えず眠れる幸せ!!

お菓子の袋を放置してもネズミに食い散らされない幸せ!

部屋中にネズミの糞が撒き散らされていない幸せ!

綺麗なお部屋!自宅にお風呂!!!

脱出した!脱出したぞ!!!!!!

 

 

 

それから数年の月日が経ち、引っ越しを考えて不動産屋さんに行った時にこんな会話をしました。

 

「僕、前に桜台に住んでて、オンボロ荘っていうところなんですけど」

「え・・・?あそこ住んでたんですか?あそこやばいって有名ですよ。初めて住んでた人に会いましたよ!」

 

そうか、やっぱりやばかったのか。と変に納得してしまいました。

 

 

今でも部屋で物音がするとネズミがいるような気がします。

ゴキブリなんて全然怖くないどうでもいい、ネズミに比べればなんてことない。

 

 

お部屋選びは大事です。

特にネズミが出るかどうかはこのブログを読んでくださっている皆様もよくよく気を付けてお部屋選びをしてください・・・。

月照らす砂浜①

 月に照らされた日本海、静かな砂浜に響く波音。
 暗闇に浮かぶ船の灯りをボンヤリ眺めながら、人の気配のない砂浜を僕とヒカリは歩いていた。
「こんな時間なのに暑いねー!」
 ヒカリはそう言いながら無邪気に砂浜を駆け出す。走ると余計に暑くなるのに…。確かに今日は暑い。もう午前1 時だというのにじっとしているだけで汗が吹き出す。熱帯夜だ。

 

「疲れちゃったー!ねえ、ここに座って休もうよ」
 言いながら、ヒカリは既に砂の上に腰掛けている。
「お団子遊びしよう!私はママで純也がパパね!」
「パパーお弁当出来たわよー今日もお仕事頑張ってね!チュッ」

 ヒカリが妙なことを始めた。まさか20歳にもなって泥団子でおままごとをするとは …。昼間の不機嫌などなかったかのように、楽しげに泥団子を丸めている。子供まで登場してきた。どうやら女子らしい。

「ちーちゃんは幼稚園に好きな男の子いる?えっ、パパ?パパはダメよ!パパは私のダーリンなんだからね!幼稚園で誰かカッコ良い男の子捕まえてきなさいねー」

「……ヒカリ、彼氏おるがん。そんなこと言っとったら幸彦が嫉妬するよ」
「えー?幸彦なんてどうでもよくない?だよね、ちーちゃん」
 仮想の娘に話しかけながら笑ってはいるが、昼間のことを思い出したのかまた少し機嫌が 悪くなってきたようだ。

 

 おままごとも終わり、また歩き出した。
 砂浜が下り坂になっている。僕はヒカリの手をとった。

「ありがとう」

 ヒカリは下り、手を離した。もう少し手をとっていたかったなと思う。
 またヒカリが駆け出した。今度は波と戯れている。

 

 月に照らされたその姿が綺麗でつい見惚れてしまう。

 この夜のことは幸彦は知らない、誰も知らない、月だけが僕らを見ている。

 月明かりだけが僕らを照らし、太陽は僕らの上には昇らない。

 だからこの夜が永遠に続きますようにと星に願う。

 

 「純也!純也来て!一緒に波と遊ぼうよー。」

 

 波へとヒカリへと向かいながら、今日で全てが変わってしまったなと思う。

 きっと今まで通りとはならない。

 一度進み始めたら止まることは出来ない。

 せめて月明かりの下だけでも彼女と一緒にいられればいい。

 この月照らす砂浜で生きていければいい。 

 太陽は昇らなくていい。

初めての東京③~初めてのナンパ~

上京して2週間、かねてよりやりたかったアレをすることにしました。

 

僕は毎週Jリーグを欠かさず見るサッカーファンです。

一時期は試合を録画し戦術を分析したサッカーノートを作るなどしていました。

特にFC東京というチームが好きで、鳥取県にいた頃から応援していました。

もう東京に来たからには実際に味の素スタジアムで観戦するしかないでしょう!!!!

  

でもチケットの買い方がわからないよ・・・。

とりあえず公式サイトを見てみるとスタジアムで当日券の販売をするらしい。

よし、これだ!

 

16時から当日券販売開始だったけど気がはやり過ぎて午前11時に味の素スタジアム最寄の飛田給駅に到着。

スタジアムまでの通りにはチームの旗が掲げてあったりしてまさにホームタウン。

オーオー東京~ヴァモス東京~♪

気分が上がってきます。

 

12時過ぎに味の素スタジアムに到着。

綺麗で大きくて感動しました。

 

やることもないのでとりあえずチケット売り場に向かう。

到着するもまだ誰もいない…。

だが油断はできない!!

これまで散々東京の人の多さを見てきた!!

隙を見せたらどこからか人が湧いてきて長蛇の列になってチケット売り切れなんてことがあるかもしれない!!

そこに居続けることにしましたが、小雨が降っているので、近くの屋根のある場所まで移動。

販売開始の16時までひたすら待つぞ。

 

ひたすら待っていたら、一人の女の子が僕の向かいの場所に来ました。

僕と同じく当日券販売を待っていて、雨宿りでここにきたのでしょう。この辺りで雨を凌げる場所はここしかないからね、わかる。

女の子は制服姿で茶髪、身長は僕(160㎝)より少し低いくらいで、濡れた髪をタオルで拭いていました。

そのまま時間が経つのだけど、そんなに広い場所じゃないし、その女の子との距離がわずか2メートルほどで逆に気まずくなっていたので思い切って話しかけました。

 

 

「君も当日券待ってるの??」

「はい、そうですよ。」

「一緒一緒!どっち応援してるの?FC東京セレッソ?」

「東京です!」

「よかったー!話しかけたは言いけどセレッソサポだったら気まずさに耐えられなかったよ。FC東京良いよね。俺は初めての観戦なんだけど、特に今野が凄く好きでその動きをを見られると思うとワクワクが止まらないよ。」

「ホントですか!!私も今ちゃんが凄く好きで、私も初めての観戦なんですよー!一緒ですねー。」

 

話が盛り上がり意気投合。

そのまま一緒に観戦することになりました。

当日券販売、試合開始までまだ数時間あったけれどその子とお喋りをしていたらあっという間でした。

女の子の名前がアカネ(仮名)だと言うこと、高校2年生だということ、今日は学校が午前で終わったので思い立って来てみたということ、町田という場所からやってきたということ、海外サッカーなども見るガチのサッカーファンだということ。

沢山沢山お話をしました。

 

そして試合開始。

圧巻のスタジアムの迫力に飲み込まれる。

試合をアカネと一緒に一喜一憂しながら楽しみました。

チャンスに盛り上がり、ピンチにハラハラし、得点が決まればハイタッチをして、失点すれば一緒に凹んで凄く楽しかった。

試合は引き分けに終わりました。

初めての現地でのサッカー観戦がまさかこんな風になるなんて。

 

試合終了後、新宿経由で町田に帰るということだったので、僕も新宿までついていきました。

二人ともお腹がすいていたので新宿で何かを食べて帰ろうということに。

 

しかーし、まだまだ東京初心者の僕は新宿に何があるのかわからない・・・。

それに飲食店だらけでどこを選べばいいかわからない!

これが地元なら飲食店の選択肢なんてほとんどないから迷わないのに!!!

迷いに迷った挙句、松屋を選択しました。

当時の僕はまだ松屋を知らなかったし、なんだか入りやすそうだし、ファミレスみたいな場所かなと思ったのです。

女子を連れて行くにはどんな店がいいかなんて発想は齢18の僕には、まだない。

アカネがこれに対してどんなリアクションをしていたのかは全く覚えていない。

 

美味しく牛めしを頂いてからアカネと一緒に夜の新宿を歩いていました。

あれは多分新宿駅東南口の辺りでしょうか、アカネが右手を開いて僕に差し出してきました。

そのまま手を繋いで一緒に歩く。

夜でもキラキラした大都会のど真ん中を女の子と手を繋ぎながら歩いてるなんて・・・。

先月まで田んぼと畑と山と海しかないような場所にいたのに。なんだこれは。東京ってのはやばいな。

 

そのまま20分ほど歩いた後、アカネが「そろそろ帰らないと」と言いました。

そうか、寂しいな。楽しかったな。夢みたいな時間だったな。

と名残惜しい気持ちになっていたら続けてアカネがこう言いました。

 

 

 

「ねえ、最後にキスして」

 

 

 

ドクンと心臓が脈打ち、通りの物陰に隠れ、アカネの頭に右手を伸ばし、くちづけをしました。

少しの間沈黙した後、二人で見合って笑いました。

 

「今日、初めて会ったのにね」

「ね。」

 

齢18で東京初心者でウブな僕です。

その後どうこうしようなんて考えもなく、そのままアカネを見送って帰宅しました。

連絡先を交換するのを忘れていたのでそれっきり会えなくなってしまいました。

 

東京ってのはやばいな!

出会いがゴロゴロあるってのは本当だったのか!

と思ったけれど、それ以来そんな出会い方をしたことはない。

 

今の僕の理想の出会い方が

「一人旅で海を見ていたら、近くで同じように海を眺めている人がいて、どちらからともなく話しかけ意気投合する」

というものだけど、この日の幻影を追いかけているのかもしれません。

 

今でもFC東京は好きでスタジアムに応援にいきます。

もう今野選手はいないけれど。(2012年にガンバ大阪に移籍)、

ひょっとしたらどこかにアカネがいるんじゃないかとついつい周りを見渡してしまいます。

あれから10年経って26歳になってるし、いたとしても気付かないかな。

 

今も同じ空の下でどこかで元気にしてるのかな。

結婚してたりするのかな。僕のこと覚えてるかな。

エモい夜をありがとう。